暴論ですら『知性改善論』的な段階に留まっているのが我々第一世代の限界、『エチカ』的段階から始まるのが次世代になる。
参考:國分功一郎スピノザの方法』

論理に紛れ込む主観的バイアス(不純物・人間味って奴かw)にこそ価値・個性を見出だす等という逆説的観点の適用は人間に害を及ぼさない範囲・表現(音楽他)でのみ存在を許されるべきなのであり、破綻を招く瑕疵・非効率・不合理・屁理屈・本末転倒な倒錯的論理の混入=人間への直接的な害となる以上、人間本位制に対する適用は許されない。
故に人間本位制は「至上主義」的な意識化・客観的把握が可能になる以前の段階で本能レベルに達する刷り込みを行い、人間である以上当然の前提としておく事が望ましく、そのためには必然的に環境=人間本位制を成立させなければならない。
すると不純物は例外皆無で不可逆的に根絶される事になる。


つまり……どういう事だってばよ?
つまり信じるものは救われる等という選択の余地も自由もなく人類=現実的かつ強制的な救済の対象になるという事で実に素晴らしくこれぞディストピアならぬユートピアですね。
やだ狂信者こわい。こんな事してたら今現在「既得権益層の自由と権利と某教至上主義」に侵されてるダメリカに核叩き込まれそう…とかほざく信仰と論理の区別すらつかない輩も排除されない=逃げられず回り込まれてしまうのが正論過ぎる正論の真の恐ろしさ…とか考えられる余地を残している=我々第一世代の限界なのであり、次世代から始まるのが真の人間本位制。超高純度鉄と鉄の違い、次世代との相違がそれ以上になるか/ならないかは知らんが…。


最後に効能あるのか不明だが、ある意味テスト的な引用文を一つ…ってこの文全体がテストみたいな物だがだめ押しに。これをどういう意味合い・目的・文脈の下で引用しているのか…次世代なら勘違いの余地はない/我々旧世代でもわかる人間には何となくわかる/必然的に勘違いするしかない人間は勘違いせざるを得ない。勘違いではなく不正確な解釈がより正確な表現かと存じますが、敢えて勘違いとします。


「周知のように、わたしたちは自分の行い全般において一部を悪の力ケリパーに渡している。そうすることによって[天の裁きのさいに]告発されるのを防ごうとしているのだ……だから、彼のなかにケリパーの力がいくらかあるに違いない。なぜなら、ケリパーの諸力は、この事[メシアの救済]のなかに自分自身の力がはたらいているとわかれば、告発者としてしゃしゃり出はしないからだ。[この秘義を]心得ておきなさい。」(79)
ゲルショム・ショーレム『サバタイ・ツヴィ伝(上) 神秘のメシア』P73